国母服装問題って何が問題なの?

この話題で自分が思うのは2点。

・いい大人(国母)が制服を着崩すって。制服着崩して許されるのは中学生までだよねー。
・そもそもいい大人(オリンピック出場者。一部15歳などを除く)にこんなダサい制服を着させるって。制服着せて許されるのは中学s(ry


制服って着崩すと、本人はカッコイイつもりなのかもしれないけど、周りから見たらダッサいんですよね。

じゃあ制服着るのを拒否しろよ。って思いませんか。


制服を着崩すのって、体制に反発する、または個性を出したいという意思が多分に含まれていると思うのですが

(そうでなければ、着崩す行為をする必要がない)

制服を着る行為自体を許容している時点で、既に体制に巻かれているわけです。

ダサい制服を着たくないなら、着ることを拒否し、その意思を表明すればよい。

こういう中途半端さが、個人的には着崩すという行為を恥ずかしいもの、と思わせて止まないのです。


まぁそもそも論でいうと、こんなダサい制服を用意する、日本オリンピック委員会のセンスのなさ。

それを強要し、激しく怒るという大人げなさ。

どちらも情けないですね。


今回のこの話題を見て思い出すのは、高校までのバカみたいな学校での風紀指導。

スカートの丈が何センチだとか、ズボンの裾が何センチだとか、

そんなどうでもいいことに時間と労力を割き、長さを守らせることにやっきになる教師。

あの指導自体が恥ずかしいんじゃないの?これやってる時間にもコストがかかってるんだよ?わかってんの?

といつも思っていました。


制服を着崩すということがどういうことなのか、ということについて、

教員がきちんとした哲学を持ち、それを説けばいいんですよ。それで納得したら制服をきちんと着るでしょう。

それでも守らないなら、お前らはもう制服を着てこなくていい、と言えばいい。

要するに、組織に属したくないということなのだから。


バカの一つ覚えで、何の哲学も持たずに制服をちゃんと着ろ、とか深い意味もなく注意だけはするから

こういう恥ずかしいことが大きな話題になるんじゃないかな。