自分で考えることがいかに苦痛かを実感してみる

皆さんは普段、自分で物事を考えたりしていますか?


あのギター抱えてるツインテールのJKにむしゃぶりつきたいなぁ・・・とかそういうことを考えるんじゃないですよ。


はてなホッテントリとかに上がるBLOGには、人気のある人の実に様々な考察やご意見ご感想が連日連夜大賑わいです。


はたまた、2ちゃんねるまとめBLOGなんかでは、懇切丁寧にレス順番まで編集してコピペされた職人の記事が日夜せっせと作られています。スゴイネ-


こうした記事を、とにかく流し読みするっていうのは楽しいし暇つぶしくらいにはなるし、何だか少し物を知ったような気になります。かしこさのたね0.2個分くらい「かしこさ」のステータスがあがった気がします。でもそれは気のせいであり、気の迷いです。


あなたが健全な人間であるならば、記事を最後まで読んでから、自分なりの感想も持ち、時には自分もレスポンスをすることがあるでしょう。


しかし、記事を最後まで読んでから持つあなたの感想は、あなたのものではありません。


既に解答が準備され、それに誘導された思考に過ぎません。


試しに、最初に問題提起されているような記事を見つけたら、後述されるであろう答え(筆者の考え)を読まずに、まず自分で解答を考えてみます。明確に言葉にしてみようとします。


すると、激しく思考に抵抗を感じませんか?


まるで、ハイパーリンク張りすぎていつまでたっても開かないExcelファイルのような重たさです。
たった2Mのファイルなのに開くのにいつまでかかってんだこのスットコドッコイが!


すみません、日ごろの業務での怒りが不意に噴出しました。


誰かの考えをなぞり絵のようにたどって持つ感想ではなく、何もないところから(実際には自分の蓄積された知識とかを基にして)新しい問題の答えを「言葉にする」というのは重労働です。


もしかしたら私の脳が単純に老化進行しすぎワロタ状態なだけなのかもしれませんが・・・。


ネットで検索をかければ、自分で考えなくても誰かが用意した答えがすぐに見つかります。しかしそこに書かれているのは、本当に正しい答えなのか?どこまでが客観的事実で、どこからが主観的考察なのか?
全て記事を読んでしまった後では、もはやわからなくなってしまいます。


面白い人が書くBLOGでテーマを見つけたら、答えを見る前にまずは自分で考えてみる。自分の思考をまとめて、きちんと言葉にしてみる。そういう人が増えたら、日本の知的レベルも多少は向上するでしょう。


怖いのは、記事を流し読みして得た猿真似知識を、自分のものだと勘違いして誘導される人が多数派になることです。
もっと最悪なのは、そうして得た猿真似を駆使して無意味で何も生まない揚げ足取りを得意気に行う厚顔無恥な人間が際限なく増殖することです。


そもそも日本では「自分で考える訓練」というものを、少なくとも高校卒業までのカリキュラムの中では一切行っていません。
高卒でも自分で考えて頑張ったら社長にまで登りつめたぜ!という人もいるかもしれませんが、それはかなりマイナーな存在です。
あるいは、「Don't think.Feeeeeel(考えるな、感じろ)」というブルース・リー先生かもしれません。


よく大衆はバカだといわれますが、大衆の実体はどこにあるのか不明です。
その原因はおそらく皆自分は自分の考えを持って生きている、と思っているけど実はそれは誰かの猿真似だということに気づいていないからです。つまりバカだと思っている大衆は自分なのです。


そうした「実体なきバカな大衆」から脱却するには、自分で考える術を持つしかなく、その方法は実はこれまで誰も教えてくれていません。そもそもコピペでレポート提出するような連中には無理な話なのですが、あるいは彼らは本気で自分で思考することを望んでいないのかもしれません。なんちゃって情報強者を気取りたいだけかもしれません。そうした人に対して、本記事はうまのふんより価値がありません。売っても0ゴールドです。


結論:自分で考えるのは超大変なので、そんなことより野球やろうぜ!と思ってる人の方が多いかもしれない。


ちなみに以下の著書はあまりに有名ですが、自分で考えるにはどうしたらいいのさ!という人向けの本です。今回はノウハウを書くのが面倒だったので主旨と異なるので「自分で考える方法」については書きませんでしたが、ライフハックしたい方はどうぞご参考にしてください。
この本は必ず参考になるので、見かけたら読んでみるとかしこさのたね4個分くらいステータスアップするかもしれません。